ゲーム開発

2015年07月30日

長年、コンシューマゲームの現場にいて、都度都度お客様の意見などを広範囲に見る機会がありました。

手紙や葉書、メール、電話、匿名掲示板やファンサイトなどなど。

その際に得たいくつかの経験についてメモしておきます。

文句と要望

要望は「不便」なところにあらわれやすく、文句は「怒り」を感じているところにあらわれる。

100%ではありませんが、そんな傾向があります。
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要望と化しているものもその本質を見間違うと「違う実装」に化けてしまうので気をつけなければなりませんが、ここでは怒りに任せる感じの「文句」について書いてみます。

※「なんでも文句を言う方がいる」というお話というか現象はココでは除外します。

不公平感とユーザー側の不幸

私の個人的な経験では「不公平感」を抱くところに文句を連ねていることが多かったです。

不公平感も色々ありますね。

・対価に対して妥当でない
・あっちの方には補填が行くけどこっちには補填が来なかった

そういうのです。

自分は正しく操作したのにそのとおりに動作しない、というのも実は同じです。


期待に対するリターンが見合わないと感じた時に不公平だと思ったり、怒りを覚えたりするのかもしれません。


では文句を言いつつ、ゲームを遊び続ける理由はなにか?

ゲームなのでやめてしまうなり、中古に売ってしまえばそれ以上の不幸を味あわなくてすむと思うのですが、一部の方はそのまま文句を言いつつ遊び続けたりします。

これは遊ぶ側にとっても作る側にとっても不幸でしかないようにみえます。


ひとつめ「愚痴である」

不公平感については本人も理解せずに発言している感じがします。

つまり文句を言っているつもりがなく、自分は不公平で不幸だという愚痴を吐露しているのです。文句を言ったあとに「ここで愚痴吐いて何が悪いんだよ」という書き込みを幾度となく匿名掲示板では見たことがありますので、一部のひとについてはそういう心理なんだと理解していました。

これについては、あまり遊ぶ側は不幸な感じはしませんね…開発は床をのたうち回るでしょうけど。

ふたつめ「選択肢がない」

私はゲームはあまりにも気に入らないものはただ遊ばなくなります。幸いにも潤沢にゲームを選べる環境にいるからですね。

しかし、他に代替品のないゲームの場合は文句を言いつつ遊び続けるしかないことがあります。

ゲームタイトルが多く発売されているうちはあまり大きくならない問題でしたが、そろそろタイトル数の減少とともに不幸な状況に陥るユーザーが増えるのではないかと思ったりしています。


また、タイトル数にかぎらず、限られたお小遣いでやっと買ったゲームに怒りを感じた時も同じような不幸に見舞われると考えます。

私は「クソゲー」という言葉が嫌いであまり自分で使うことをしませんが、そう呟きたくなる心理も理解はしているつもりです。なにより自分がゲーム好きなので。


開発が目指す視点

要望があるのであれば改善策までつなげるのはプロの仕事だとして、開発にお任せすればい良いですね。

ユーザーは不満点を伝えれば、開発現場はそれを拾って「もしかしたら」改善につなげてくれるかもしれません。

ただ、本来の要望が伝わるかもしれないものも「怒り」にオブラートされて本質が見えず、改善につながらないことも多いです。
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どういったことを改善点としてピックアップするかは相当悩みます。さらに怒りのオーラにアテられてしまうとすぐにこうしたらいいという改善策が出すことが難しくなります。開発者も人間なので。


売り切りのパッケージゲームは本質的に「面白くない」とかは、リリースした後ではもうどうしようもないと思います。それ以外の、要望、意見、文句は、中身を整理して分類しながら一つ一つ解決していくことを開発側は地道にしてほしいですね。


不幸なのは、開発側にもユーザーと同じレベルで「文句」をいう人も少なくないということ。プロなのであれば少し危機感を持って自分のもつ不満が「何に根ざしているのか」くらいは自覚して改善につなげていってほしいと思います。

(すくなくともコンシューマの)ゲームを遊ぶ側に回った私としては、なるべくわかりやすく要望を伝えられればいいなと思う昨今でした。


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